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あなたの中の名シーン


誰しもが心の中に名シーンを抱えてると思います! レースの勝ち負けだけじゃなく、記憶に残ってる名シーンをみんなで分け合いましょう!

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Tinker
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[508] Tinker

2018/11/9 11:42

エリザベス女王杯

真っ先に浮かんだのが1998年!
人気はエアグルーヴ・メジロドーベルの2強!

しかし、俺が本命に選んだのは当時まだ準オープンの身
でありながら果敢に挑戦してきた「ナギサ!」
ムチャクチャ調子良さげで鞍上は天下の仕事人
安田富雄!

馬連までしかなかった時代で、この2強との
馬連2点大勝負!(ナギサ自身は単勝万馬券の14番人気)

予想通りの逃げ戦法!
しかもペースもいい!

最終コーナーに差し掛かる頃、
河内ランフォザドリームが早めに動きやがった!
この僅かに仕掛けを早めるきっかけが・・・・・

最後も手応え抜群だっただけに・・・
安田富雄ジョッキーも後から言ってたけど、
河内がもう一瞬でもくるのが遅ければ・・・・・と。

悔しかったなぁ〜〜〜
直線興奮しまくったのを覚えてる!


今年も、興奮させてくれる穴馬に期待しよう!(笑)



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[507] Tinker

2018/11/9 11:25

>>506
193さん、この飾りは何なんすか!?
☆刈り???



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[506] 193

2018/11/9 10:58

ネット写真館で見たけど
レイアー姐さんの
尻尾の飾りや
ヒップの星刈りが好きだわ〜



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[505] Tinker

2018/11/8 23:28

>>504
おおおっ、この時はレイアー姉さんは逃げ切ったんやったかぁ〜?
府中のマイルで逃げ切れるってのは、なるほどその後の活躍も納得出来る!



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[504] 遊君

2018/11/8 11:32

以前、トウカイテイオーの投稿をさせて頂きました、ゆーくんです。

あとは、スマートレイアーの東京新聞杯の逃げ切り勝ちも痺れました。



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[503] Tinker

2018/10/28 0:19

うひょう〜〜〜〜〜♪



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[502] Tinker

2018/10/24 17:54

そして再々度の復活!
復帰戦は前哨戦を走らないまま天皇賞(秋)!

人気は18頭立ての15番人気と評価は非常に低かった。

しかし、そこでグローバルは
2度の骨折・ボルトの入った脚でも
無我夢中で走る!
気持ちは切れていなかった!

鞍上の河内も、グローバルを信じて
必死にエスコート!

メジロパーマーとダイタクヘリオスが作ったハイペースを
中団から追走すると、
最後の直線で失速する先行馬をかわして先頭へ!

脚は悲鳴をあげていたのかもしれない、
しかし、グローバルは直線で先頭にたったのだ!
大歓声と悲鳴が巻き起こる!
ゴールまで、後50メートル・・・・・・・


しかし・・・・・

後方から追い込んだ レッツゴーターキン、
ムービースターに無情にも差されてしまった・・・。

たが、結果は3着と好走!
こんな脚で・・・・・・・
よくこれで走れたもんだ、しかもあと少しでGTに
届くような走り・・・・・。

実況のアナウンサーだか、解説者だか
分からないけど、

誰かが言った

「一番強い競馬をしたのはヤマニングローバル!」


その一言!
陣営もスタッフもファンも・・・みんなが泣いた!



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[501] Tinker

2018/10/24 17:54

天皇賞(秋)

数々の名馬達が、栄光を掴んでいった。
名シーンも多々ある。

だけど、天皇賞(秋)で、どうしても思い出すのが
「ヤマニングローバル!」

トウカイテイオーと同じく、父は三冠馬!
デビューから大物 大物と騒がれ、
三冠馬ミスターシービーの最高傑作とまで言われた!

パフォーマンスも噂に違わぬ素晴らしさ、
武豊を背に、デビュー3連勝!
誰もが来年の三冠馬だと、ため息の出る強さを見せつけた!

しかしその瞬間!

入線後に武が馬を止めようとした際、馬場の窪みに足を取られ、バランスを崩した際に右前脚を骨折。
その場で馬運車に収容された。

検査の結果、右前種子骨が縦真二つに割れており、通常ならば安楽死の措置が取られる重傷であった。

この骨折に武が
「来年のGIを4つ(クラシック三冠、有馬記念)損した」
と発言するなど期待も非常に大きかったことから、
陣営は治療を選択。
割れた骨を2本のボルトで繋ぐ手術が行われ、
以降は復帰に向けて厩舎内での回復が図られた。

翌年、 左前脚に蹄葉炎を発症するなど一時状態は悪化したが
陣営の必死の努力もあって、奇跡的に回復に
向かった。

この努力について、管理した浅見国一調教師は、
「うちでなければ殺処分だった」
と回想している。

さらに年が明けた1991年1月に、
オープン特別戦の洛陽ステークスでようやく復帰を果たし、
この緒戦で4着に終わるが、ファンは暖かい声援をおくった。

以後は順調に月1走のペースで出走を続け、
6月にはGIIIの阪急杯で2着、次走・GIIの高松宮杯でも3着となる。
そして復帰後10戦目のアルゼンチン共和国杯で、
デイリー杯以来およそ2年振りの勝利を挙げた。

次走の有馬記念で念願のGI出走を果たしたが6着。
そして1992年の初戦となった目黒記念で復帰後2勝目・重賞3勝目を挙げる。
しかし以降3戦は精彩を欠き、
最下位13着と大敗した宝塚記念では再び骨折し、休養に出された。




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[500] Tinker

2018/10/24 16:55

トウカイテイオー・・・

3度(?)の骨折を乗り越えて、
奇跡の有馬を演出した!

また、親父がシンボリルドルフってところが、
最高だ!



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[499] たかくん(たあくん)

2018/10/23 23:43

ゆーくん、ありがとぉ〜!

たあくん、自分の分身のように、
そのお言葉に、感極まっていまス(笑)!

・・・同じく、僕もイっしょです!

トウカイテイオーは、
競馬をそして、ギャンブルと云うも枠を越えて、
感動のドラマを作りあげました。



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